大東ビジネス創造センター

新着情報

スタッフブログ

2018年08月24日

投稿者:ものづくりアドバイザー 森田誠

【生駒山麓の水車】

生駒山麓の大阪側、現在の東大阪市から大東市を経て四条畷に至り生駒さんに降る雨を集め山裾に流す小さな川。先達はその流れを動力として利用し薬種や鉱石を粉砕したり、河内木綿の綿の種から油を搾ったりと加工をしてきました。大東市・四條畷市を流れる「権現川」の上流にも、その名残があります。竜間の方にも水車を使って製粉(胡粉などの製造)がされていたようです。
 生駒山は、奈良県側は比較的なだらかな傾斜ですが、大阪側の傾斜は急勾配で川の流れの勢いがあります。そのため、水車を動力源とし先達は、臼や杵を使い道修町の薬問屋から薬種(薬の原材料)を粉砕し製粉していました。当時の塗料の材料となった胡粉や岩絵の具の材料も製粉していたようです。

日本坩堝株式会社 大阪分工場も、この権現川の中流あたりで操業していたそうです。

 

 

大東市のほとんどは大昔「河内潟」の中にあり、淀川、大和川などから運ばれる土砂が堆積し海水から淡水に変わり深野池とよばれた湿地帯となりました。大和川の付け替え工事(宝永元(1704)年10月13日竣工)後の新田開発により農業が本格的に営まれるようになり産業はほぼ農業の地でした。

 

旧170号線のあたりが、東高野街道と呼ばれた道で京から高野山へのお参りの道で、多くの人が行き来した道で街道沿いを歩くと古から続く神社仏閣、道標など残されています。地形なども確認しながら訪ねてみると、新たな発見があるかもしれません。

明治28年(1895年)に浪花鉄道が生駒山地北部の野崎観音、四条畷神社への参詣鉄道として片町駅 – 四条畷駅間を開通させました。同じ年に摂河紡績株式会社が住道駅近くに紡績工場をつくり、大東市の産業に近代的な紡績工場ができました。明治32年にこの工場は鐘ヶ淵紡績住道工場となります。

 

突然、話は現代へ、第100回全国高等学校野球選手権大会 地元 「大阪桐蔭高校」優勝おめでとうございます。
近頃の若者は「すごい!!」史上初の2回目の春夏連覇、大会中、対戦相手選手に向けたフェアプレイの精神。多くの感動をありがとう!!

D-Biz(月曜日)ものづくり担当 森田でした

ページトップへ