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2018年05月15日

投稿者:ものづくりアドバイザー 森田誠

【ものづくりの町 大阪】

ものづくりの町と呼ばれはじめたのは、商いの町大阪と呼ばれた時代よりも後であったと思います。とは言え、このものづくりの町のルーツを辿っていきますと面白い事実を発見することができます。例えば、室町時代以降の大阪周辺で新たな発想のものづくりと新たなビジネスモデルが起こります。

標準化の歴史を辿ると建築物などの規格があります。古代エジプトで長さの標準が生まれたと言われています。我が国では、世界で現存する最古の木造建築物群のある法隆寺も、建築に際して一定の長さの基準を設けて建てられていました。その当時は、他の建造物も同様の標準を使ってはいませんでした。部品の共通化がされず互換性が無かったのです。それぞれの、建物ごとに標準が作られていました。ところが、室町時代に大工道具に新製品が使われるようになります。
その道具は「のこぎり」です。意外なようですが、それ以前も似たような道具は有ったようですが、主にクサビで木を割り表面を手斧(ちょうな)や槍鉋(やりがんな)と呼ばれる道具で平らにしていました。「のこぎり」は、木を一定に切り分ける道具として画期的なものとなり、丸太を有効に切り分けることができるようになります。
更に、鎌倉時代、室町時代は京都、大阪周辺では争い事が多く家が焼かれたり建具も壊され住居を立て直すこと修復する必要が頻繁に起こります。それならばと、変化に対応する関西人は、まず家の大きさの規格を作ります。その規格にあった畳や建具を作り始め、やがて独立した畳屋、建具屋が現れます。やがて、畳や建具は借主が用意する時代になり、長屋の家主は畳や建具以外の構造物を貸すようになり江戸時代の大阪の市内中心部の貸家は「裸貸し(はだかがし)」と呼ばれる賃貸システムが確立します。
欧米の歴史では、物の標準規格ができ互換性が進んだのは18世紀初頭、フランスで製造されたマスケット銃からと言われています。大阪の建具の標準化の1世紀ほど後の話です。
一方、この頃江戸は大名の上屋敷など規格を統一することもなく、畳や建具はその場で職人が採寸し仕立てる手間のかかる仕事をしてはりました。そのため、日本全国に普及した考えではありませんでした。

 

 

※関西を中心に、ものづくり関連のお話を書かしてもらいます。楽しみにしてください。

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